feeljazzy’s diary

音楽・・・特にジャズの話を中心に書いていく予定です。

音楽好きな脳-人はなぜ音楽に夢中になるのか (ダニエル・J・レヴィティン)

最近、音楽に関する科学的研究の最近の論文を調べているうち、

Musical rhythm spectra from Bach to Joplin obey a 1/f power law

という、かなり評価の高い論文誌に掲載されている論文を読み、音楽におけるスペクトル(周波数ごとの強度分布、いわゆる1/fスペクトルなど)に関する系統的な研究が、音程、音量、リズムなど、音楽のもつ様々な側面から、過去の膨大な曲の分析という形で色んな研究者によって系統的に行われている事を知った。恐らくこの分野において精力的に研究を行っている研究者の一人がこの論文の第一著者のDaniel J. Levitin氏で、この方について調べてみたら、凄く興味深い人物であった。Daniel J. Levitin氏の個人のサイトはこちら:

Dr. Daniel J. Levitin — Neuroscientist ◦ Musician ◦ Author

 

音楽プロデューサーであり、認知心理学神経科学の研究者、現在はカナダの名門マギル大学の教授をされている。この方が書いた一般向けの書籍がこちら、

音楽好きな脳―人はなぜ音楽に夢中になるのか

アメリカではベストセラーになったのだそうだ。 この本の中で印象的だった記述の1つが、『音の音程を決める物理である音波、つまり空気などの媒質の振動の振動数=周波数は客観的な物理現象であるが、それを人が感じる、ピッチ=音程という感覚そのものは、心的現象であり、音程という感覚には、脳の中での処理が必要である』という事。

 確かにそうだ。空気の振動の段階では、それは、ある周波数での空気の振動でしかない。そこに、音程、例えば、一秒間当たり440回の振動がラの音であり、その半分の220回が1オクターブ下のラの音であるという、人間の感覚に対応する意味づけをしなければならない直接的理由は無い。意味づけをしているのは脳の働きの部分であるのだろう。

 一方で、前回のブログで書いたG7→Cのドミナントモーションのように解決感を感じさせるコード進行というのは、解決感という感覚は心的現象であるが、その背後にある数学は、音律の定義にもよるが、少なくとも近似的な意味では、周波数の比において無理数から有理数へ遷移がその解決感の決め手であるという言い方も出来、それ自体は客観的な数学である。

 無理数を人間が心地悪く感じなければいけない自明な理由も、有理数を心地よく感じなければいけない自明な理由も無いはずであるが、確かに人間の感覚としては、ドミナントモーションという形で、無理数有理数の解決感を感じ、それが音楽理論の要である。『音程』という感覚は純粋に心的現象であるが、コードや、その進行なんかの情報においては、心的現象とその数学的記述がより密接に関係しているのだろうか。

レヴィティン氏のこの本、そこから色んなイマジネーションを掻き立てられるという意味においても、 当初の想像を超えて面白い本。また何回かに分けて本の内容とかを紹介していきたいと思います。

 

静音楽学と動音楽学

音楽を科学的に語る、という試みは、特に新しいものではなくて、むしろ、最初は音楽は科学だったのだし、音楽家は科学者であると言ってもいいくらいな気もする。

ただ、音楽を科学的に語る、と言った時、それを分類分けする、というのはとても大事だと思った。

第一段階は、音そのもの。もう少し広く言うと、音階の話。オクターブの関係や、オクターブ内の12音の数学的な関係などはこの段階。

第二段階は、音と音の重なり。つまり和音。音と音との関係性に依存して、調和したり、しなかったり、という違いが現れる。

ここまでは、音楽としての時間の概念は入っていない。時間の概念は、音そのものの振動数や、音と音との調和の意味でのみ介在する。その、『音そのものの』意味での時間の概念はとても大事だが、音楽を音楽たらしめている意味での時間の概念は、次の、もう少し長い時間スケールのものだろう。

第三段階が、その、もう少し長いスケールでの時間依存。物理の言葉で言うと『ダイナミクス(動的過程)』であるが、音楽の言葉ではダイナミクスというのは強弱の事を意味するのでちょっと面白い・・・。 とにかく、音から音への遷移。 和音から和音への遷移、その一例が、前回書いたような、G7→Cなどのドミナントモーションの解決感である。

物理学において、例えば力学で、力の釣り合いを議論する静力学と、ダイナミクスを議論するニュートン力学があるように、また、電磁気学において、静電気学、静磁気学のガウスの法則と、アンペール、ファラデー則の動的な世界があるように、音楽でも、静的な世界と動的な世界があり、それらは、どちらが大事というものでもなく、どちらも本質的。 

面白いのは、そのような観点は、決して新しいものではなく、標準的な音楽理論で当たり前のことであるという事。 でも、それは、科学の観点から見ると、ある種の斬新さを感じないわけにはいかない。 

物理現象としてのドミナントモーション

ジャズに限らず、音楽の中で頻繁に登場するプロセスに、いわゆるドミナントモーションというのがある。

例えばキーがCであれば、G7(ソシレファ)→C(ドミソ)というコード進行。ここで、G7の中のシとファの関係が、三全音、トライトーン(シの1音上がド#、2音上がレ#、3音上がファ)の関係になっていて、このシとファの響きが不安定なので、そこから、より安定な響きを持つドとミに向かいたがる特性(シ→ド、ファ→ミ)があって、これをドミナントモーションと言う。

 

 昨日触れた本

VOICE OF BLUE 舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅

 の中の一節で、「ドミナントモーションは、物理的な『現象』です」(P.95)という記述があって、凄くハッとさせられた。

物理では、エネルギーが高いところから低いところに落ち着く。摩擦が無ければ全エネルギーの和は変わらないが、摩擦がある現実的な状況では、全ての物理現象は、エネルギーが高いところ(不安定なところ)から低いところ(安定なところ)に落ち着こうとする性質がある。

なるほど・・・ドミナントモーションもこれと同じだったのか・・・

 

ちなみに、ファとシの音の振動数の関係は、平均律だと、1:√2の関係。純正律でも、1:45/32 という中途半端な数字。この45、32という数字は、オクターブの中の12個の音の振動数の純正律の比率の中で一番大きな数字になっている。

これに対して、ここからドミナントモーションで解決する先のドとミの関係は、平均律だと1:2の3乗根で、これは5/4に近い数字(純正律では5/4)。

 

ドミナントモーションは、G7→Cみたいな、V7→Iという解決を基本としつつも、それだけだとつまらないので、経過的なコードをうまくつかってこれを色々発展させることで、解決しかけたようで解決していないような浮遊感が生み出される。物理のエネルギーの言葉で言うと、いきなり最安定状態に安定するのではなくて、色んな準安定状態を用意して、そこに落ち着きそうでいて落ち着かない、そんな感じに対応しているのかな・・・

 

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ジャズ史をたどる旅

昨日、たまたま本屋さんで立ち読みしていて、素晴らしい本に出会った。

VOICE OF BLUE 舞台上で繰り広げられた真実のジャズ史をたどる旅

この本のAmazonのレビューに書いてあって、そうかも・・と思ったのが、これまで、日本では、ジャズミュージシャンの視点で書かれたジャズの歴史の本が無かったという事。NYを舞台として著者の出会ってきたジャズを中心とする音楽が、氏が出会ってきた人たちの言葉や経験と共に生き生きと語られている。その中で、ジャズという音楽がどのように変遷を遂げてきたかを、実例を交えて理論的に説明してくれていている。現在に繋がるとても新しい歴史の本であり、そして、ジャズの理論の本でもある。

どんな分野の学問でも、自分がその歴史を追体験する事、自分がその歴史の中にいたかのような錯覚を覚えるくらいの感情移入が出来る事が、それを本当の意味で習得する上での王道だと思うのだけど、この本は、ジャズの世界の、そういう意味でのいい道しるべになっている気がする。

このブログでは、これから、この本について、そして、ジャズや、もっと広く音楽について、「自然現象としての音楽」をテーマに、思いつきで色々書いてみようと思う。